投票の前にこう考えよう、高速道路無料化


どうやら有権者は、民主党マニフェストにある原則無料化に対して、あまり良い評価をしていないようだ。民主党支持者の中でもそうだが、問題は、この際民主党を支持したいと考える有権者にとっても、マイナス材料となってしまっていることだ。


“混乱lover”と自称するちきりんさんが、「高速道路の無料化」は注目の政策で書いてくれているように、変えることをポジティブに捉える人も少なくはないようだ。


しかし、高速道路の料金引き下げは歓迎だが、民主党の無料化はやりすぎだ、と考える有権者のほうが多いことは間違いなさそうだ。そこで、そうした人に向けて、政権選択の際の一助となるよう書きたいと思う。


道路構造改革では日本の自動車道を「本来は有料性に値しない」という立場を取り、抜本的な料金や制度の改革が必要であると考えているが、そこから見ても、民主党の政策はまさに「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如(ごと)し」である。誤解の無いように念のため意味を添えますが「何事でもやりすぎることはやり足りないことと同じようによくない。(大辞泉)」ということです。


無料化は少し先の話

もしかすると有権者の多くが、選挙後の来年にでも無料化と混乱が始まるような気がしているかもしれない。メディアが選挙で高揚していることや、休日1000円政策の混雑が目に浮かぶからかもしれない。


しかし冷静に考えると、工程表や報道によれば、政権を取った後すぐにすべてが無料化され、混雑などの懸念が現実となるわけではないことがわかる。


まず来年(22年)度に何らかのアクションは起こすだろうが、再来年(23年)度にはまだ無料化はほど遠い段階に違いない。つまり、選挙が終わっても、無料化までは時間があるので、国民が民主党に対して慎重であれと、再考をせまることのできる時間は十分にあるということだ。


民主党が晴れて政権交代を果たせば、それは広く一般の国民から支持されて政権政党となったことを意味する。大企業の連合組織の味方ではない。世論からの修正をせまる声が多くなれば、それを国民の声として受け止め、かたくなにマニフェストの原則無料化に拘り、推し進めることはしないだろう。マニフェストは絶対ではないのだ。


これは民主党にとっての、アキレス腱でもあるのだけれども、上手くやれば、次の選挙(来夏の参院選?)のマニフェストで「原則無料化」から政策を変更したとしても、それが国民の声を受けた発展的な変更であればマイナスの評価にはならないだろうし、メディアも叩くことはできないだろう。


自公政権が続いた場合、すでに行われているような、いびつで不十分な引き下げで終わる。そして、山崎養世氏が訴えるように、金利が正常に戻れば債務は大きく膨らみ、償還計画は破綻する。その時は、単に膨らんだ借金を返すというバカげたことを、まさに国民負担で行うことになるのだろうか。


それよりも、体制の牙城を崩し、世界の常識である「自動車道をあたりまえに使う」ための大きな改革とその経済効果etc…に、とりあえず力を貸してはいかがだろうか。