ウド鈴木さんの事故報道と日本の意識レベル


昨日予告した記事です。

FNN(フジテレビ系)でのタイトルは、自局に関係あるからか、「東京・港区のフジテレビ本社前でウド鈴木さんが運転する乗用車が車と衝突」と、わりと卒のないものでした。が…


ANN(テレビ朝日系)は、「ウド鈴木さんがフジテレビ前で人身事故」というタイトルで、「ウド鈴木さんがフジテレビ前で交通事故を起こし、相手の車に乗っていた女性がけがをしました。」と始めました。


これでは、悪いのは違反をして事故を起こしたのはウドさん、と聞こえます。いくつかのブログを見ると、(青信号という主張が正当なら)ウド鈴木さんの方に過失はないと書いている人もいますが、視聴者は(免許を持っていない人は特に)ウドさんが悪いと思わされている人も多いのではないでしょうか。


まだ事実関係が明らかになっていないのだから、事故を起こして、ではなくて単に事故に遭いましたなどと言うべきです。


何でもセンセーショナルに取り上げるメディアもどうにかしたいですが。道路交通に関する過失や謝罪の観念があまりに幼稚な日本もどうにか進歩させたいです。


人として相手のケガの状態を心配する気持ちはあって然るべきでしょうし、日本人として誇るべき謙虚さからくる、自分がもう少し○○ならば、と思う気持ちもわかります。


しかし、ウドさん、法的な過失が無い自信があるなら、まるで、自分が違反をして事故を起こしたかのような態度で謝る必要はないのです。(信号が黄色に変わって少ししてから交差点に入って、相手は右折青矢印で出てきた。というのが真実だからこの態度?)


ともかく、日本では、文明国ならば普通の市民でも区別できて然るべき、法的なこととそうでないことの区別がきちんとつけられていません。例えば、ウドさんがもし謝らなかったら、人でなし扱いをされる恐れもあります。今回は軽傷で済みましたが、死亡事故にでもなっていて謝らなかったらどうなるか…

このようなことは「過失割合」という考え方となって、道交法の運用のありかたにも悪影響を与えています。


両方に違反がある事故で、過失割合という考え方をするのは理解できますが、日本では、道交法に従って裁けば0:100になるはずの事故でもそうではないのです。(過失割合に関する諸外国の事例をご存じの方がいましたら、情報提供をお願いします。)


例えば、右直事故で、直進車が青信号で進行してもほとんどの場合に過失割合が与えられます。「右折車は直進車の進行を妨げてはいけない」のだから、基本的に右折車の過失が100%のはずです。(なぜか、直進赤X右折青矢印の時には、100:0 となるようですが…)


青信号で直進していて、右折車が出てきたのを認知したときに、衝突を避ける義務はあるでしょう、しかし、衝突してしまったことに直進側の過失を問うことは間違っています。


相手の車両の動きを注意していなかったことを過失とする考え方で裁くなら、日本の信号機の青信号は廃止して、黄点滅にしなくてはなりません。

黄色の灯火の点滅の意味: 歩行者及び車両等は、他の交通に注意して進行することができること。


もしくは、交差点は対向右折車の存在が良く確認できるようになっている必要があるはずです(諸外国の交差点は市街地を除けばほとんどそうなっています)。過失の考え方にかかわらず、そもそも交差点はそのように設計すべきですが、中央帯に高架橋の橋脚がある場合など、自分が交差点内に入らないと確認しにくい交差点は多いです(今回もゆりかもめの高架橋があります)。


また、何かに視界を阻まれて、対向右折車の挙動が良く確認できない場合は、徐行しなければ十分に注意することはできないので徐行義務を課すべきです。(例えば、同進行方向に右折車が溜まっている場合もそうです。徐行義務を課さずに注意義務を果たさせるためには、右折車は停止線に止めたままにしておく必要があります。)


ウドさんも「直進しようとしたら、右折の車がグワッと来た。」と言っていますが、とてもお気の毒です(青信号だったという証言が確かならば)。これでも直進側に過失責任が問われるのが現実です。


対向右折車の挙動が見にくい道路状況をつくっておきながら、事故が起こると、徐行義務もないのに注意義務を果たさなかったと過失を問われる青信号とは一体何なのでしょうか。日本の交差点では、権利と義務と責任の関係が成立していません。


もう1つ、フジテレビ前の道路は片側3車線あります。こんな道路で右折の交通流が直進から完全に分離されていないことは全くどうかしています。映像では右折青矢印はあるようですが、これではだめです。完全に分離するのです。(こんな街区の作り方自体にも問題がありますけど。)


明日は我が身、あなたの身、こんな危険な道路とおかしい法の運用を変えませんか。民意が「これはおかしい」となれば、道路構造や信号のあり方を是正するでしょうし、裁判も今までと違った判決を出すのではないでしょうか。


私たち兄弟は、法治国家をうたっていながら、国と一般国民の意識レベルがこの程度でしかない日本の将来を憂いています。