春の交通安全運動にみるチ法国家の姿
三重県の春の交通安全運動の出発式のもようがニュースで流されていました。
そのなかで、幼児2人が野呂知事に宣誓する場面があり、次のように言っていました。
「わたしたちは、車が来ないことを確かめて、横断歩道を渡ります。」
これを聞いてすぐ気づきました、これはまさにチ法国家*1の交通教育だと。
この宣誓文は信号のありなしに触れていません(こんなところもチ法国家的です)。もし「信号が青でも、車が来ないことを確かめて」なら問題ないです。しかし、信号のあるとは言っていないので、信号のない横断歩道のつもりで書きたいと思います。
幼児だけで渡らせるな。というのが本来大前提であるべきですが、日本の現状をふまえて話を飛ばします。「来ないことを確かめて」ということは、待てども停止してくれる車両がないことが前提になっていて、止まってくれる車両がいる場合についてはまったくの想定外なのです。この意味で完全にチ法国家的な交通教育だといえるでしょう。
内容についてふれると、信号のない横断歩道で、「来ない」とはどういう事でしょうか。ずっと遠くまで見ても、向かってくる車両が見あたらないことでしょうか。
ちがいますね、少なくとも自分が安全に渡りきるために必要な時間をみて、その間に横断歩道に到達する車両が来ていないことです。そうでないと、ある程度以上交通量がある道路ではいつまでたっても横断できません。
おそらくこの宣誓文には、安全に横断できる隙間ができるまで待てと言う意味が暗に込められているのでしょう。こう分析すると、結局のところこの宣誓文は、重要なことがらについての具体性がなくて何が言いたいのか伝わらないため、教育的に何の意味もないことが分かります。
横断歩行者用信号のない横断歩道で交通事故を減らすために
重要な提言をします。
残念なことに、日本では横断歩道での歩行者優先がほとんど忘れ去られています。そのため、判断力や歩行能力が必ずしも十分でない子どもや高齢者に、安全に渡りきれるギャップを見定めさせて渡らせているのが現状です。そのため、判断の見誤りなどで渡りきれていない横断者がいるときに、横断歩行者を意識していない運転者が向かってくると事故が起こります。
判断もしっかりできて、健康で歩けて、いざというときは小走りもできる青年以上の健常者たちは、車両が止まってくれるのを待つのではなくて、ブレーキをかけて安全に止まれる距離を見定めて渡り出すというように交通行動を変えることで、運転者たちに横断歩道での歩行者優先の原則を思い出させなくてはなりません。こうすることで、まずは、横断歩道の存在を意識すること、そして、すでに横断を始めている人や横断しようとする人がいるかどうかを確認すること、さらに、もし横断者がいたら止まるように運転者を条件付けるのです。
皆が交通行動を変えれば、横断歩道での交通事故は確実に抑制されます。特に、近い将来に高齢者となる世代の人たちは、将来の自分たちのためにも、今日から始めるべきです。睨んでくる運転者もいますが、怯まないで続けてください。そしてまたこの交通行動を標準化するための運動を起こして広げて下さい。
近い将来、止まることが当然になり、事故が減ることを願って。
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